Monday, April 16, 2007

オカルト 01

 自意識が強いんだか低いんだか分からない、こんな性格と生活を生きているので、幸せだったと思えばそう思うし、不幸だったと思えばそう思ってしまう。そんな毎日だ。将来に対する希望も不安もそれなりにある。絶えずアップダウンを繰り返してもいる。けれど、いま死んだとしたら、「いろいろあったし、使われなかったものもたくさんあったかもしれないけど、大切な人にたくさん会えて良かった。」と、最後にカードを「幸せ」にひっくり返して死ねるんじゃないか… と思っている。それは、僕の最後のセーフティネットだ。生きるために積み上げて来たつもりの思い出は果たして、死ぬ時まで僕を救ってくれるだろう。死ぬまでは生きているんだから。

 日常に生きて、「報われない想い」を持ち続けるなんて、自分に許されるとは思っていない。どんな状況でも「運がない」とは言いたくない。どんな状況であるにしろ、それは自分で選んだものなのではないだろうか? 親しい人に言わせると、僕は「片思いに向いていない性格」なんだそうだ。あたりまえだ。自分を好きになってくれない人を好きになるなんてどうかしてる。僕は自分のことが大好きなんだから。

 毎日が辛くても、いつか報われると思ってる。もし何かがだめになっても、他の道ある。でも、「欲しい」と感じてしまった欲望の乾きは、他で代償できるものか? それがかなわないと知っても諦められるものか? その欲望を指摘された。ほしがってる自分はずっとそこにいる。呪いのような感情だった。 ワタシハシアワセニナリタイ イマヨリモモット

 僕が言葉にできない思いを「聞いてしまった」ので、もう戻れない、と思った。いつだって予言は甘い言葉だ。



 本当に大切なものは、今よりも幸せになることか? それよりも、この世界に根を張る方が、ずっとずっと大切なことなのではないのか? 思い出や大事な人を、裏切らないでいられるのか? なによりも自分自身に、恥じるものではないのか?報われない想いを抱いて、辛い、苦しい、といって泣けるほうが、よっぽどましではないのか? 僕は何を利口になろうとしているのか?

2 Comments:

At 11:29 PM, Anonymous Anonymous said...

いつも読んでますが初めて書き込みます。
最後の部分にすごく共感しました。
最近つらかったからなんだか救われたきがします。ありがとう。

 
At 1:10 AM, Blogger ジン太 said...

くろうしさん
読んでくれてどうもありがとうございます。
言葉にできないこともたくさんあるし、言葉にしないことのほうがたくさんある毎日だけど…
それでもくろうしさんとなんか繋がった気がしますよ。

 

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