Thursday, November 15, 2007

移転しました

 こんばんは。ジン太です。

 大学2年生から続けて来た「泥濘に住む男」、そしてこのブログですが、

 このたび、移転しました。

  【泥濘日記】 

 主として、ライターとしての活動日記で、日記的なものとか、文章の引用とかはなくなります。
 でも、こっちのアカウントも残しておくので、気が向いたらこっちも更新するかもです。

 読んでくれて、ありがとう。

Friday, September 28, 2007

拳の先

 人生で嫌いなこと、避けて来たことの一つに、”他人になにか忠告をする”というのがあって、できるだけそれをなあなあで避けて来ていました。

 というのも、一度言葉として言ってしまうと、それだけで関係ができてしまって、そこから二度と関係が戻らないのね。たとえば、「ジン太ってすげーヤリマンだよ」って、だれかから聞いちゃったら、それ信じるにしろ信じないにしろ、少なくとも「ヤリマンって言われてたジン太」っていう事実、それを聞いてしまったことで変わってしまったものがあるわけで、できるだけその責任を負いたくない、言葉のSMに自縛したくない、思っていた、けれども。

  結局は「言わないこと」も感情としてはココロに残るわけで、言わなければ、その人との関係が、いつかはめんどくさくなって自ら「この人は違う」と言って傲慢にも見捨ててしまう結論しか用意されていない。本当にいい関係を築こうと思うのなら、他人に対しても、自分に対しても、変わることの責任も、また自らが他人をそれこそ『傲慢にも』変えることの責任も負わなくてはいけない。

 だからこそ、「他の人は…」っていう一般化は卑怯だと思うので、「オレは好きじゃない」と言うことはできたけれど、言われた相手のことを思いやることは、まだまだできないままでした。

 振り上げた拳。ああ、それはやっぱり他人のためではなく、自分が生存するためにあるのだということを、正直にいう必要がある。
 そして、その拳を振り下ろして、自らと他人の弱さがぶつかり合ったところにしか、今はないんだ。

Monday, August 27, 2007

服を選べない人たち

 自分の着る服は自分で選べるのに、「自分がどう生きるか」ということをあまりに他人任せにしていることがどうしても納得いかない。

 服に関しては、「アンタ、そんな服着てんの? ダサくない〜」とけなしてくれる人も必要かもしれないし、「こっちの方が似合うよ、これ着なよ」ってアドバイスしてくれる言ってくれる人も必要なんだろうけど。でもね、その他人が選んだ服を着てしまった時点でなにか力関係が生まれてしまう。で、その服を着てるのは、他ならぬ「自分自身」なので、自分が「その服」で評価される。無責任にも、責任はすべて着た自分が負うことになる。あくまで、他人の意見を取り入れた程度で済ませるのか、自分よりも信頼できるセンスの人として任せているのか(それは楽でいいなあ)どっちにしろ、自分が着た服は自分で責任を持たなくちゃいけないんだ。よっぽど自意識がないか、もしくは絶対的に信頼(依存)している人がいない限りは、パンツだってなんだって着る服くらい自分で選んでいるものだ。

 人が選んだ服を着てたり、また人の着こなしを見てたりして、真似したりしながら、なんとなく「こう着たらいいんじゃないか?」ということが分かりだして、自分のスタイルを確立する。模倣や憧れがあるから、いろんな服を着ようと思う。そういうのはすごく大切だし楽しいと思う。でも、他人にだた進められた服を着ているだけだったら、そしてその服に憧れも何も思うことがなかったら、残念だけどその服を切るのは辞めたほうがいい。それは外側から心を浸食する。「着る服も自分で選べない」という人間ということことを、身をもって思い知らされる。

 世の中には、何に付けても「こうしたほうがいい、君は間違ってる」という生き方レベルでおせっかいな人がいる。そういう人は、「どんな風に考えているのか」ということを明らかにするのではなく、ただ他人を意のままにする快楽を得ていて、考えない人間を生産しているということに気がついたほうがいい。スピリチュアルがどうにも好きになれないのも、ファッションリーダーがウンコだと思うのも、たいていのメディアがクズであるのも、「なにも考えないほうが楽と思う人たち」がいて、「そういう人を導いてあげるということに快楽を得る人たち」という一種の茶番にも似た共依存の関係性から抜け出せないからだ。

 何でその服が好きなの? どんな服に憧れるの? どうしてそれを自分で着ないの? どうしてそんな知った風なことを言う人の言うこと聞いてんの? ダサイって言われるより、自分が着たくない服着る方がよっぽど気持ち悪くない?

Thursday, August 02, 2007

回復まで

 いま最悪なのは、もはやわたしには遠い未来に希望はなく、ときめく心でなにかを待ち望むことがないということ。過ぎ去った年に失ったのは、運命についての感覚、信念ともいうべきもの。私が恋するひとりの人間として、また多くの作品を著した作家として、差し出さねば鳴らないものには価値がある……つまり愛や作品に結晶した、あらゆる心の戦いや苦痛には価値があるという信念だ。
 ありのままを言えば、わたしは失敗したのだと思う。状況がもっとよくなるだろうと期待にするには年を取りすぎている。わたしにはこんなにも不快なやりかたで<無力にされた>ので、確固とした意志で自己を律する以外に、自分を回復する道はありえない。しかもそれはほんとうの回復とはいえず、自殺だけはせずに生き続け、手にしている道具を使い、その技術は唯一わたしが自由に使えるから作家でいるということだけ。わたしはまだ昨年の出来事から<回復>できない。
 自分自身について、また自分の能力についてもっていた意志、つまりわたしの内面軌道は壊れてしまった。

「回復まで」メイ・サートン より

Wednesday, July 11, 2007

犬に噛まれる私の影を踏みつけて

 犬にガブガブ噛み付かれる夢を見て、目が覚めた。ひさびさに怖い夢みちゃった、扉しめなきゃ(押入れの隙間が怖い)

 気になって、夢占いで調べてみたら、犬は「友情」だの「信頼の人間関係」とやらで、「犬に噛まれる」っていうのは「人間関係が壊れる」という暗示だそう。はあ、そうですか。噛んだ犬は僕なんだけどね。

 さいきん、SMとか愛とかについてよく考えるんだけど、愛とかセックスとかについてまわる権力、上下関係って一体なんなんだろう。

 愛についてまわる権力から自由になって、ほんとうの気持ちを伝えることがでれば、と思うけれど、言葉にもまだできない。太陽の重力から逃れられないみたいに、僕の思考も「愛」に規定されているのね。

 なにかを大事に思う気持ちがあっても、それに欲や嫉妬や権力や、自分でも把握できないどろどろした何かが取り付いちゃったら、それをまず手放してそこから去りたい思う。

 「愛」は一番大切なものではない、とか思ってるから、邪悪だよね〜☆とか言われちゃうんだろうなー。むはー。

 ただ、自分がなにがしたいかわからずに、満足はしていても踏みつけられた影みたいにみじめな気持ちになるほうがよっぽど怖いと思うのだ。

精液なめて生きるゴキブリ干涸びて心優しい贄であるのか 心太

Tuesday, July 10, 2007

だれかぼくのてさがしてごらん 

まっくら まっくら まっくらなのに

まっくら みんな おちてゆく

だれかぼくのて さがしてごらん

だれかぼくのて つかまえてごらん


「ミルククローゼット」富沢ひとし より

Friday, June 29, 2007

自然と愛と孤独と (メモ)

 間違えて海岸から拾って来た貝殻でしたが
 それでも 大事にとっておきました
 何年も何年も経って
 思いがけず 内に真珠を持ちました。
 
 どうしてこんなにあとになって ーーー私はつぶやきました
 あなたの必要はもうなくなったのにーーー

 真珠は答えました ですけれど
 私の時間は いまから始まるのです

 「エミリ・ディキンスン詩集 続々自然と愛と孤独と」より

Tuesday, June 19, 2007

暗闇からの叫び (メモ)

 「それで私も目が覚めたのよ」と母は言いながら煙草を一喫いした。「お婆ちゃんは悪い夢を見てたのよ」

 私にもそれが聞こえたのだろうか、私もそれで目が覚めたのだろうか。「何の夢だったか言ってた?」と私は聞いた。

 母は煙を吐いて、首を横に振った。言わなかった、という意味なのか、その話はしたくない、という意味なのか。

 何年ものあいだ、母は私を悪い夢から起こしてくれたが、あとになって私たちはそのことを一度も話題にしなかった。母が起こしてくれて、抱きかかえて、ただの夢よ、もう大丈夫よ、終わったのよと言ってくれたのを私は覚えている。すごく小さかったころのはどんな夢だったか訊かれた覚えもあるけれど、そのうちに母はもう訊かなくなった。「ただの夢よ」と母は私に言うのだった。「ただの夢よ、もう終わったのよ」と。

 何年か経って、今度は私が、悪い夢を見ている母を起こしてやるようになった。もしかしたら何年も前からそうだったかもしれないが、中学生のときに私は初めて、眠っている最中に母が叫び声を上げることに気がついた。父はもう出て行ったあとだったし、兄と姉も大学に上がって家を離れていた。母と私は小さなアパートメントに引っ越した。母の部屋は私の部屋から廊下をはさんで向かいに合った。母が叫ぶのが聞こえると、私はベットから飛び出し廊下を超えて母のもとに飛んでいき、部屋の灯りを点けて母を抱きかかえ、「もう終わったのよ、ただの夢よ、終わったのよ、もう」と言った。母の目は恐怖にぎらぎら光り、顔には斑点が浮かんでいた。そこにいるのが、何のことはない、私だと気付くと、母は自分の怯えをごまかそうとした。水を一杯持って来てくれないかしら、と母は私に頼み、私も言われたとおりにした。戻って来て、しばらくそばにいてあげようとしても、母はそうさせてくれなかった。そういう姿を私に見せたくなかったのだ。怖がってる姿を見せたくなかったのだ。

 だからその夜、自分の母親の家で、母が私に「あたしたちとおんなじ声出すのね」と言ったときも、何のことを言ってるのか私にはわかった。その声は、傷付けられた生き物の叫びだった。怖くて言葉のでない生き物の叫びだった。

 「暗闇が怖い」 レベッカ・ブラウン「若かった日々」より

Saturday, June 09, 2007

神による陰謀説 (メモ)

 ヴァレやHもそうだが、なぜUFOマニアというのは、この手の陰謀論に飛びつきたがるのだろうか? Hや他の信者たちの話を聞いているうち、私には何となく理由が分かってきた。

 彼らは「真実」を求めているのだ。UFOの謎に頭を悩ませ、単純明快な理論ですべてを説明することを夢見ているのだ。「誰かが真実を隠している」「誰かが我々を騙している」という説は、安直であるがゆえにアピールしやすい。隠されている真実さえ明らかになれば、すべては単純明快であったことが判明するだろう……。

 陰謀説というのは宗教に似ているーー私はふと、そう気がついた。

 この世は混乱に満ちている。多くの悲しむべき出来事、不条理な出来事が常に起きている。戦争、災害、不景気、伝染病……そこには何の秩序も基準も見当たらない。どんなに正直に慎ましく暮らしていても、天災であっさり死ぬことがある。悪人が罰を受けることなくのさばることがある。人の生や死というのもには、結局のところ、意味などない。

 しかし、多くの人はそれに納得しない。自分たちの生には何か意味があると信じたがる。この世で起きることもすべて、意味があると考えたがる。偶然などというものはありえない。どんな事件にもすべてシナリオがあるーー誰かが仕組んだことなのだ、と。

 阪神大震災が起きたとき、オウム真理教は「地震兵器による攻撃だ」と主張した。そのオウム真理教は、一部の陰謀論者に言わせれば、フリーメイソンや北朝鮮の陰謀なのだそうだ。一九九六年にO-157が流行した時も、二〇〇五年にインフルエンザが流行した時も、やはり陰謀説を唱える者が現れた。こうした説は決して近年の流行ではない。十四世紀にフランスでペストが流行した時、「ユダヤ人が井戸に毒を流しているからだ」という噂が流れ、大勢のユダヤ人が殺された。一九八三年、長崎にコレラが流行した時も、「イギリス人が井戸に毒を流している」という噂が広まった。一九九五年、エボラ出血熱が流行したザイールでも、「医者が毒をばらまいている」という噂が流れた。時代や民族を問わず、人は大きな災害に接すると、「誰かのせいだ」と考えたがるらしい。

 考えてみれば、ノアの洪水の伝説も、そうして生まれたのではないだろうか。昔の人にとって、自分たちの住む地域が「全世界」であったろう。自分たちの住む地域に洪水が起きた時、「全世界が洪水に見舞われた」と思い込んでいただろう。生き残った人たちは考えた。なぜこんな悲惨なことが起きたのか。誰が何のために私たちの隣人を殺したのか……彼らはその不条理な悲劇を合理的に説明するため、物語を作り上げたのだろう。「死んだのはみんな悪い人たちで、神は彼らを罰するために洪水を起こしたのだ」と。

 そう、宗教とは「神による陰謀説」なのだ。災厄を起こした者の正体が人であれば陰謀説になり、神になれば宗教になる。それだけの違いだ。

 そう考えれば、カルトを盲信する者がしばしば陰謀説を唱える理由も説明がつく。神を信じる心理、陰謀を信じる心理は、結局のところ同じメカニズムによるものだからだーーすべてにきっと意味があると考えたがる心理。

「神は沈黙せず」山本弘 より

Thursday, May 24, 2007

最後の物たちの国で #1(メモ)

 それはけっこうなお話ですね。でもとりあえずいまは、どうやってここから出られるんですか? と私は訊ねました。いやそりゃ駄目さ、と相手は首を振り振り答えました。もう船の入港は禁止されたんだよ。入港してこなきゃ、出港する船だってなかろう。じゃ飛行機は? と私は訊きました。飛行機って何だね? と相手はとまどったような笑みを浮かべて言いました。まるで私が何かジョークを言って、それが理解できなかったみたいな表情でした。飛行機ですよ、と私は言いました。空を飛ぶ、人を運ぶ機械ですよ。馬鹿馬鹿しい、と相手は疑り深そうに私を見ながら言いました。そんなものありゃしないよ、無理に決まってる。覚えてないんですか? と私は訊きました。何の話だかさっぱりわからんね、と相手は答えました。君、そんなたわけた話を言いふらしてるとロクな目に遭わんぞ。物語をデッチ上げる連中を政府は好まんのだよ。士気に響くからね。

 わかるでしょう、ここにいるとどういう状況に立ち向かわされるかが。ただ単に物が消えるだけではないのです。ひとたび物が消えると、その記憶も一緒に消えてしまうのです。脳の中に闇の領分が生じ、その消えたものをひっきりなしに喚起する努力でもしない限り、またたく間に永久に失われてしまうのです。この病に冒されている点では、私だって例外ではありません。きっと私の中にも、そうした空白がたくさんあるにちがいありません。物がひとつ消えたら、すみやかにそれについて考えはじめなければ、あとはもうどれだけ頭をひっかき回しても取り戻せはしないのです。結局のところ、記憶とは意図的な行為ではありません。それは本人の意思とは無関係に働きます。そしてこの街のように、何もかもがつねに変わっている状況にあっては、脳だっていい加減ぐらついてくるのであり、いろんな事物がこぼれ落ちてしまうのです。時おり、逃げてしまった思念を懸命に探し求めていると、私の思いはいつしか、かつて故郷で過ごした日々に戻っていきます。まだ幼かったころ、夏休みに家族揃って汽車で北へ出かけたときのことを私は思い出します。兄のウィリアムは私をいつも窓側の席に座らせてくれました。そして私は、たいてい誰とも口をきかずに、窓にぴったり顔を押し付けて風景を眺め、汽車が荒れ野を飛ぶように抜けるなか、空や林や水を眺めていました。いつ見てもきれいな眺めでした。ふだん都会で見る眺めよりずっときれいでした。毎年私は、心の中で自分に言ったものです。アンナ、こんなきれいな眺めって見たことないでしょ、これを覚えておくのよ、いまこうして見ているきれいなものをみんな記憶しておくのよ。そうすればきれいなおのはずっとあなたと一緒にいるのよ、目の前にはもう見えなくなってね、と。来たへ向かうあの列車に乗っていたときほど、真剣に世界を見たことはありません。私は何もかもを自分のものにしたいと願いました。それらの美すべてが私という人間の一部になってほしいと望みました。覚えていよう、あとで呼び出せるように頭の中にしまっておこう、本当にそれが必要になったときに備えてしっかり持っていよう、そう自分が思ったことを覚えています。でも奇妙なことに、何ひとつ残りはしませんでした。私としては懸命に努力したのですが、なぜかいつもすべては失われてしまったのです。結局唯一思い出せるのは、自分がいかに懸命に努力したかということだけでした。物たち自体はあまりにも早く過ぎていき、私の目に止まると同時にもう頭の中から消えてしまうのでした。いまの私に残っているのは、一個のかすみだけです。まばゆい、美しいかすみ。林も空も水も、みんななくなってしまいました。それらはいつも、私が手にする前から、もうすでになくなっていたのです。

 「最後の物たちの国で」ポール・オースター著 柴田元幸=訳 より抜粋 

最後の物たちの国で #2(メモ)

だから自棄を起こしても仕方ありません。どんなに条件がよくても、物忘れは誰にでも起きることです。ましてやこんな、現実にいろんな物が世界から消滅してしまう所では、どれだけ多くのことが刻々忘れられていくかは推して知るべしです。つきつめて言えば、問題は、人がものを忘れるのではなく、みんながつねに同じものを忘れるとは限らないということです。一人の人間のなかでいまなお記憶として存在しているものが、別の一人にあっては取り返しようもなく失われている。これはさまざまな困難を生み出します。相互の理解を妨げる、超え難い障壁を作り上げます。飛行機とは何かがわからない人に、どうやって飛行機の話ができるでしょう? それは緩慢な、しかし不可避の消滅過程です。言葉は物よりも少し長く生き延びますが、やがては言葉も、それがかつて喚起したイメージとともに色あせていきます。一つのカテゴリーがまるごと消えてしまうことも珍しくありません。たとえば、植木鉢。煙草のフィルター、輪ゴム。しばらくのあいだは、それらの言葉を聞けば、たとえそれが何を意味するのかは思い出せなくても、ひとまず言葉として認識することができます。けれどやがて、言葉はだんだん単なる音と化していきます。声門音と摩擦音の無根拠な集まり、音素の渦巻く嵐となって、ついには訳のわからぬたわごとに堕してしまうのです。「ウエキバチ」という言葉は「スプランディーゴ」という言葉と同じくらい無意味なものになり果てます。脳はそれを聞いても、理解不能な何かとして、知らない外国語の単語として認知するばかりです。こうして、外国語にしか聞こえない単語が身のまわりでどんどん増殖していくにつれて、会話も次第に困難になっていきます。実際、いまや一人ひとりが自分個人の言葉を話しているのです。共通理解の領域が減っていくにつれて、他人と意志を交わすことはますます難しくなっていきます。

 「最後の物たちの国で」ポール・オースター著 柴田元幸=訳 より抜粋

Thursday, May 17, 2007

さがしもの

 いつも不思議に思うこと。「なぜ『探す』のだろう?」という疑問。そして、「いつそれを『見つける』のだろう?」


 なにかがないと思うから、それを探すということは、「探す」時点ですでに「なにを」探すかは決まっている。


 もともとあって、なくしてしまったものを「探す」のはまだわかる。たとえば物体、落としてしまった財布とか携帯とか、汚い部屋にどっかにまぎれてしまったリモコンとか…探せば、「出てくる」もしくは「出てこない」いつかは「探していたこと」さえも忘れてしまう。


 でも、幸福とか自信とか、自分とか、恋人とか友達とか、そういう「ものではないなにか」概念に近いものを探すこともある。
 探しているうちは、それがほんとうに「ある」のだと思うから「探す」。あいまいではなく、「何を探しているのか」をちゃんと知っておかなくては探せない。


 それでも、一度もみたことがないもの、自分だけではなくて誰もみたことがないものも探そうとする。何を探しているのか? それをはっきりと考えようとすることはあまりしないで、なぜかみんな探す。ひょっこりどこかで見つかると信じている。何を探しているのかわからなくなっても、それでも探している…

 
 ツメの中に土が入るほど深く掘った穴。探して掘った、からっぽの穴の中。そこに力つきて自らの体を埋めるのか? それとも花を植えるのか?
 

Thursday, May 03, 2007

走光心 (メモ)

 今日も仕事を終えると少し遠廻りして白壁の土蔵のつづく道を歩き、掘割に出た。
 この掘割の流れのふちにただずむと心の隙間という隙間が一瞬にして密着して、その景の中に溶け込んでゆくようである。
 派の落ち着くした桜の大樹の影に、庇の長く傾斜した古い家が合って、白い障子の奥に自分が吸いこまれてゆくような陶酔感がある。今日はなぜか、バスを待たず駅へ通ずる一本道を歩こうと思い立った。
 バスに乗れば十五分とはかからない道も、歩けばやはり遠かった。
 三十歳をすぎた女が、夫や子供と離別して、何故こんな暗い田舎道をひとりいそぐのか私の安住するところは何処に、みじめな暗澹とした思いがいやでも私を追いかける。
 バスが明るい光をまき散らして、幾台もすぎてゆく。私ひとりなぜのりおくれたの。
 今からでもいい、乗り継いだらどう。私は自分に問いかける。空は暗く、低く星影もない。あの暗い空の奥には無数の星がまたたいているであろうが、今の私にその光はとどかない。遠く田園の果てに列車が星の帯のように東をさしてのぼってゆく。あれは東海道本線。窓の一つ一つに赤い灯がともってつらなり、ながい光のリボンが森にくぎられーーーと思うまに東の方から下ってきた列車と交差する。八幡と安土を長い光のリボンが結ぶ。東へ上る人をのせ、西へ下る人をのせ、明日の朝は東京である。夫と子供のいる東京に向かって、あの列車はひたすら走っている。私は今、あの列車と直角にまじわって、地平線上にこんもり聳える長光寺山の麓にかえりをいそぐのだ。再び会うことの出来ぬ人への愛着を断ち切って私はあの光のリボンをよこぎるのだ。こみあげる涙で、忽ち窓々の灯がにじんでしまった。

 志村ふくみ「一色一生」日記より 抜粋

Friday, April 27, 2007

傷逝

 あのとき自分がどんなやり方で、純粋にして熱烈な愛を彼女に伝えたのか、もう今は思い出せない。今どころか、その直後にもうぼやけて、夜になって思い出そうとしても断片しか残っていなかった。その断片すら、同棲1、2ヶ月後には跡形もなく消えてしまった。ただ覚えているのは、事前の十数日間、自分のとるべき態度をつぶさに研究し、発言の順序を立て、万一拒絶されたときの措置まで考えたことだ。だがその場に臨んではどれも役に立たず、すっかりあがって、我知らず映画で見たようにやってしまった。あとで思い出すたびに顔がほてるが、意地悪いことに、それだけがいつまでも記憶に残っていて、今でも暗室の豆ランプのようにその光景を照らし出すーーー私が涙を浮かべて彼女の手を取り、片膝をついて…

 自分のことだけでなく、子君の言ったこと、したことも、そのとき私はよく見ていなかった。彼女が自分に承諾を与えたんだ、とわかっただけだ。かすかに覚えているのは、彼女の顔が真っ青になり、それからだんだん赤くーーーかつて見たことがなく、その後もついに見なかったほど真っ赤に変わったことだ。あどけない目から悲しみと喜びとの、しかも疑惑を伴った光がほとばしった。そのくせ、つとめて私の視線を避け、そわそわして、いまにも窓を破って飛び出さんばかりだった。だが私は、彼女が自分に承諾を与えたんだとわかった。何を言ったか、また言わなかったかはわからなかったが。

 しかし彼女の方では、何もかもよく覚えていた。私の言ったことを、まるで熟読したようにすらすら暗唱してみせた。私のやったことを、まるで私には見えないフィルムが眼前にあるように、如実に事こまやかに述べてみせた。むろん私が二度と思い出したくないあの浅薄な映画のワンシーンをふくめて。夜がふけてあたりが静かになると、さし向かいの復習の時間がくる。私はいつも質問され、試験され、おまけにあの時しゃべったことの復唱を命ぜられるが、まるで劣等生のように、しょっちゅう彼女から補足され、訂正される始末だった。

 この復習も後にはだんだん回数が減った。だが私は、彼女が目を虚空にむけてうっとり想いに沈み、顔色がますます和らぎ、えくぼが深くなるとき、ああ、また例の学科を自修しているな、とわかる。そして例の滑稽な映画のワンシーンだけは見ないでくれたら、と思うが、しかし彼女はそれを見たがるし、見ないではおかない、ということも私にはわかっていた。

 しかし彼女の方では、それを滑稽とは思っていなかった。どんなに私自身が滑稽と思い、むしろ愚劣と思っていても、彼女は少しも滑稽と思わなかった。私にはわかる。彼女の私への愛は、それほど熱烈であり、それほど純粋だったのだ。



 魯迅全集 竹内好訳 「傷逝」より

Monday, April 16, 2007

オカルト 01

 自意識が強いんだか低いんだか分からない、こんな性格と生活を生きているので、幸せだったと思えばそう思うし、不幸だったと思えばそう思ってしまう。そんな毎日だ。将来に対する希望も不安もそれなりにある。絶えずアップダウンを繰り返してもいる。けれど、いま死んだとしたら、「いろいろあったし、使われなかったものもたくさんあったかもしれないけど、大切な人にたくさん会えて良かった。」と、最後にカードを「幸せ」にひっくり返して死ねるんじゃないか… と思っている。それは、僕の最後のセーフティネットだ。生きるために積み上げて来たつもりの思い出は果たして、死ぬ時まで僕を救ってくれるだろう。死ぬまでは生きているんだから。

 日常に生きて、「報われない想い」を持ち続けるなんて、自分に許されるとは思っていない。どんな状況でも「運がない」とは言いたくない。どんな状況であるにしろ、それは自分で選んだものなのではないだろうか? 親しい人に言わせると、僕は「片思いに向いていない性格」なんだそうだ。あたりまえだ。自分を好きになってくれない人を好きになるなんてどうかしてる。僕は自分のことが大好きなんだから。

 毎日が辛くても、いつか報われると思ってる。もし何かがだめになっても、他の道ある。でも、「欲しい」と感じてしまった欲望の乾きは、他で代償できるものか? それがかなわないと知っても諦められるものか? その欲望を指摘された。ほしがってる自分はずっとそこにいる。呪いのような感情だった。 ワタシハシアワセニナリタイ イマヨリモモット

 僕が言葉にできない思いを「聞いてしまった」ので、もう戻れない、と思った。いつだって予言は甘い言葉だ。



 本当に大切なものは、今よりも幸せになることか? それよりも、この世界に根を張る方が、ずっとずっと大切なことなのではないのか? 思い出や大事な人を、裏切らないでいられるのか? なによりも自分自身に、恥じるものではないのか?報われない想いを抱いて、辛い、苦しい、といって泣けるほうが、よっぽどましではないのか? 僕は何を利口になろうとしているのか?

Tuesday, March 27, 2007

世界の眺望

 ぼくはあなたを感激させるために、 あなたの目を世界に開かせるために、 自分が飛び越えてきた死の危険を物語ったものだ。 あなたはおっしゃった、ぼくがいつになっても少しも変わらないと。 子供の頃から、ぼくはシャツによく穴を開けたものだと。 ああ!なんと不幸なことだろう! ちがいますよ、ちがいますよ、 ぼくが今度帰ってきたのは、庭の奥からではありませんよ、 僕は世界の果てから帰ってきたのですよ、 それでぼくは苦い孤独の匂いを、 熱の砂嵐の渦巻きを、 熱帯地方の目覚めるばかり美しい月影を、 身に染み込ませて帰ってきたんですよ! するとあなたはおっしゃるのだった、 とかく男の子というものは、 駆けずり回ったり、難儀をしたりすることで、 自分を強いと思っているものなのですよ、と、こう。 違いますよ、違いますよ、老嬢よ、 僕は裏庭よりももっと遠いところを見てきました! 裏庭の藪かげなんか、物の数ではないですよ! あんなものなんか、 あちらの砂漠や岩山や処女林や大沼に比べたら、物の数にも入りはしません。 あなた知っていますか、 人と人が出会うと、 いきなり鉄砲を向け合う土地がこの世にあると? あなた知っていますか、 凍りつくほど寒い晩、屋根もなければ、老嬢よ、 ベットもなければシーツもなしで 眠らなければならないような砂漠が存在するということだけでも…。 すると、あなたは叫んでこうおっしゃるのでした。
『まあ!野蛮人』
 教会の修道女の信念が動かしえないのと同じように、 ぼくにもこの老嬢の信念は動かしえなかった。 そしてぼくは彼女を盲にし唖にしているその貧しい運命を哀れんだものだった…。 それなのに、このサハラの一夜、星と砂との間に、裸で放り出されて、 僕は彼女の方が正しいのだとしみじみ思い知ったものだ。


サン・テグジュペリ「人間の土地」より

Monday, March 05, 2007

春の星

 夕食のおかずを買いに、近所のスーパーまで歩く。スーパーの隣にある花屋の前で立ち止まって、「あの紫色の花、なんだろう」と、僕に尋ねるのと独り言の中間のような声が隣でした。なんだろうね、と行って花に歩み寄る。 あれはフリージアだよ。…いや、ごめん、違った。スターチスだ。小さくて、乾いた花だよ。「最近花が気になってね。色が綺麗だし。あんな紫色で。枯れちゃうのに。」

 いつのまにか春が来たみたいだ。東京の空気もいっぺんに温かくなった。春の空気の重さ、春一番が吹いて、梅の花がほころび、沈丁花の濃い匂いがたちこめ、木蓮の花が重い花弁を開いた。外は雨が降っている。温かい春の雨だ。春の風がずっと吹いてる。この風は変わらずにあらゆるものを萌えさせる。この時期はすべてがあっという間に過ぎて行く。鮮やかな色と匂いを残して。

 何度も春を生きて来た、という実感が、僕の体の中からじわじわとにじみ出て来る。25回目の3月を迎えている。たくさんの花を見て来た。たくさんの匂いを嗅いだ。たくさんの風に触れた。見えなかったもの、感じれなかったものが、新しく春を迎えた自分の目に、全て新鮮で新しく、懐かしく、美しいものに思える。また会えたね。

 今年で30になる恋人は、この世界をどう受け止めて来たのだろうか。 何を見て何を感じて来たのだろうか。まだ25年しか生きて来ていない自分とは違う世界を生きて来たのだろう。それは決して埋められない溝ではある。けれども悲しむべき距離ではない。決して届かない、遠くの星のようだ。遠い向こうの生命の予感。夢、希望そのものだ。

 紫色のスターチスを思い出す。二人でそれを眺めてた日を思い出す。
 僕はこの記憶があれば、死ぬまでずっとまっすぐ生きていられる。死ぬ瞬間にも笑っていられる。何度も何度も繰り返し思い出すだろう。

Tuesday, February 06, 2007

条件

 最近、不思議に思う。毎日出会うたくさんの人たちの中で、すごく仲が良くなる人がいるのはなんでだろう。
 すぐに仲良くならないまでも、この人ならきっと気が合うと確信してしまう人。僕の世界に住んでくれそうな人。

 ジョジョの台詞をさらっと言っても受け答えてくれるとか、ご飯の趣味があうとか、お酒がごいごい飲めるとか、歳が近いとか、セクシャリティが同じとか、神様の話とかトンデモ話ができるとか。僕が好きな作家が好きとか。顔や服の趣味が割と近いとか。

 「同じ匂いがする」なんて言葉は、その人の持つ生き方そのもの(まだ知らないその人の人間性、その人の中にある神性のようなもの)を、自分の感覚に落とし込んで判断してしまっているような気がして、なんだか不遜な気がする。仲良くなる人たちに、僕は自分の中に見出したかったものを探しているんじゃないか、と。 

 安堵感を覚え、なにかをたしかにその人と共有した、と思う気持ちは他のものとは代え難いあたたかい気持ちだ。仲間がいるということは、ものすごく力強い事実だ。しかし、連帯の安寧さはきっと僕を堕落させる。異質なもの、自分らしくないものに絶えず触れておかねば。孤独で静かに自分を研ぎすませねば。

 荒野をともに歩くためにあるのだ。

 

Tuesday, January 30, 2007

先天地 御六氣

 占ってもらう。ホロスコープと四柱推命と数秘術とタロットの複合で占ってもらった。 ちょっとタロットとかホロスコープとかかじってるので、いろいろ教えてもらおう、と思ったんだけど、やっぱりよくわからないのでだまって聞くことにした。

 まず言われたのは、君の運命は難しい、とのこと。 難しい、って、どういうことですが?破綻しているとか?  …んーっとね、影響を与える星をいくつか持ってるんだけど、それがどっちにも働く、つまり大凶にも大吉にもなるんだよ… 

 と、はじめから歯切れが悪い感じではあるのだが。当たってるんだかわかんないんだけど、まず見てもらった仕事運は、去年は空回りしてた(当たってるなあ)今年はまだしばらく空回りするけど、去年ほどではなく、人に助けてもらう運勢、とかなんとか。

 他の占い師と言われたことと違ったことは、「お金はたまらない」と「福祉や医療、人に奉仕するとが天職」
 他の占い師に言われたことと同じことは、「ライターの才能はある」「文学的な才能はない」「正社員は無理」「しばらくは不安定」
 この占い師にだけ言われたこと、つまり初めて言われたことは「33才で転機を迎える」「30代くらいまで貧乏」「安定するのは33くらいから」安定するのが33って、今年26だから、あと7年かあ… 長いなあ。

 でも、いろいろ考えたけど、生きてる感覚がなくなるのが嫌で会社員辞めちゃったから、貧乏でも自分の手応えを感じて生きて行けるいまのライフスタイルはあってるのかも。余裕できたなあ。悪く言えばすれたなー。自分。

 作家っていっても、自分の体験談じゃないと書けない人もいれば、まったく自分の中で話を作る人もいるから、一概に文学的なものはできない、と言えないのではないかなー。 一つの言葉でくくろうとすると、なかなか難しいね。自分は、何を書くにしろ、自分で体験して書くタイプ、人の言葉を自分の言葉にしていくタイプなのだとは思うので、あたってるのかもしれない。

 あとで、恋人に「先生とか福祉がむいてるらしいよ」と報告すると、「向いてないと思うよー 人の痛みが自分の痛みになるじゃん」と言われて、なんだかはっとした。 でも、あるところでは多分すごく冷酷になれるのも、言葉や論理で粉飾するのも、守ろうとしているからなんだろうな。

 今年も仕事がんばろう。

Thursday, January 18, 2007

亡霊にならないために

 初夢だった気がする。地下鉄で、正月くらいに見た夢を思い出していた。

 僕に28才の自分の亡霊が憑く、という夢。
 想像できそうで、まったく想像もできない、数年未来の自分。

 その亡霊は、自殺かなんだで死んだということがなんとなくわかる。何も語らずにただ憑いているだけ。僕は、亡霊の「僕」の存在をただ感じることができる。でも、普通に仕事したりして、亡霊がいることを普通に受け入れている… 「僕」が死んだ理由を探そうとか、そういうこともちょっと考えたりもするんだけど、なにもしない。 

 受け入れてたのか? 諦めていたのか? よくわからないけど、僕はなにもしなかった。

 「過去は亡霊のようにつきまとう」という言葉は聞いたことがあるけど、未来も亡霊になるとは知らなかった。でも、そもそも過去も未来も、亡霊のようなものなのかなあ。「いま」に存在しないという意味では。 そうすると、夢も亡霊みたいなもんなんだろうか。思い出も亡霊なんだろうか。 過去と未来と、どっちの亡霊も引き連れていて、そのどっちもが「いま」の自分の時間の奪い合いをしているんじゃないか… 

 いやまて、そもそも僕はどっちに生きてるんだっけ? 「ここ」で「いま」に生きている。 その「いま」を感じる感覚は、過去の経験から作られて来て、その意味では僕は過去の産物だと言える。 だとしたら、亡霊は過去ではなく、未来のほうか? 過去も未来も、どっちが亡霊にしろ、それの存在を証明するのは「いま」なのだが、結局「いま」に生きる僕は、どっちも証明できないので(亡霊の証明、というのも変な話だ) 過去も未来も、どっちも立派に亡霊なのか?

 僕に憑いている「僕」は亡霊なので、語ることもできず、その時間は止まってしまっていた。
 僕が28になって、「僕」が亡霊になった歳と同じになっても、僕は死なないかもしれないし、死ぬかもしれない。
 僕がいる場所以外の、亡霊の場所に自分の居場所を探そうとしても、それは行き着くところではのないだろう。

Monday, October 30, 2006

ザ・ワールド・イズ・ユアーズ (メモ)

 当時、まだ一度も命名されていなかったある感受性が世間には存在していました。存在しているのにまだ誰も気づいていないことを、つまりそれについて書くというかたちで、注視されていないことを凝視するには良い機会だと思いました。でも、それは私のなかに存在する感性というわけではありませんでした。まさにその点がつねに混乱のもとなのではないでしょうか。私にとってより近く感じられるヨーロッパの文学の伝統と比べると、日本においてはこの混乱がより著しいように感じます。つまり、書くということは何らかの意味で自伝的である、あるいは、その人の観点、生活、物語を反映している、という考え方。人によってはそうかもしれませんが、私の場合は違います。自分自身に大してより、世界に対してずっと大きな興味があります。もっと言えば、自分にはそれほど興味がなく、書くものもとくに自伝的というわけではない。むしろ自分自身とは何の関わりもないことでも本当に大切だと感じ、興味をかきたてられる主題、あるいは、そのことについて誰も言っていない独自の発言がある主題について、そうとう力を入れて著述する能力はあると自負しています。自分について語ることには、何かふしだらな感じを抱いてしまうのです。いままさに自分がそうしていることはわかっていますので、逆説的ですが、ここでは一人称で語るべきだと思うのです。そうでなければ不遜であり、醜悪だと。
 実際、このような場でも一人称で語らないで、三人称で自分に付いて話す何人かの作家に出会ったことがあります、私もそれができないわけではありませんが、彼らほどひどくはありません。いや、まったくそうではありません。ですから、主張をするときは、「私」と言って語る。正直に誠意を持って参加するにはそれしかありません。でも、「私」で語っても、内容は私のことではないのです。膨大な量の人間の現実に接しているというのは作家の特権でしょう。できるかぎり多くの人間の現実に接していたいと思いますが、世界で起こっていることに踵を接していようという試みのなかで、自分はごく小さなきっかけに過ぎないと思います。安寧でない状態、居心地の悪さというものに、身を浸してもかまわないという考え方を私は信奉しています。安寧は人を孤立させます。自分だけの生活を営み、適度にうまくやり、習慣にひたり…そのうちに、外の世界のほどんどの人に何が起きているか、それを知るきっかけを見失ってしまいます。ですから私はしょちゅう旅をしています。世界は「私」でないものごとで溢れていることをつねに忘れないように。世界は「私」のためにあるのではないのだ、ということを忘れないために。

 スーザン・ソンダク「良心の領界」より