Thursday, May 03, 2007

走光心 (メモ)

 今日も仕事を終えると少し遠廻りして白壁の土蔵のつづく道を歩き、掘割に出た。
 この掘割の流れのふちにただずむと心の隙間という隙間が一瞬にして密着して、その景の中に溶け込んでゆくようである。
 派の落ち着くした桜の大樹の影に、庇の長く傾斜した古い家が合って、白い障子の奥に自分が吸いこまれてゆくような陶酔感がある。今日はなぜか、バスを待たず駅へ通ずる一本道を歩こうと思い立った。
 バスに乗れば十五分とはかからない道も、歩けばやはり遠かった。
 三十歳をすぎた女が、夫や子供と離別して、何故こんな暗い田舎道をひとりいそぐのか私の安住するところは何処に、みじめな暗澹とした思いがいやでも私を追いかける。
 バスが明るい光をまき散らして、幾台もすぎてゆく。私ひとりなぜのりおくれたの。
 今からでもいい、乗り継いだらどう。私は自分に問いかける。空は暗く、低く星影もない。あの暗い空の奥には無数の星がまたたいているであろうが、今の私にその光はとどかない。遠く田園の果てに列車が星の帯のように東をさしてのぼってゆく。あれは東海道本線。窓の一つ一つに赤い灯がともってつらなり、ながい光のリボンが森にくぎられーーーと思うまに東の方から下ってきた列車と交差する。八幡と安土を長い光のリボンが結ぶ。東へ上る人をのせ、西へ下る人をのせ、明日の朝は東京である。夫と子供のいる東京に向かって、あの列車はひたすら走っている。私は今、あの列車と直角にまじわって、地平線上にこんもり聳える長光寺山の麓にかえりをいそぐのだ。再び会うことの出来ぬ人への愛着を断ち切って私はあの光のリボンをよこぎるのだ。こみあげる涙で、忽ち窓々の灯がにじんでしまった。

 志村ふくみ「一色一生」日記より 抜粋

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