Thursday, May 24, 2007

最後の物たちの国で #1(メモ)

 それはけっこうなお話ですね。でもとりあえずいまは、どうやってここから出られるんですか? と私は訊ねました。いやそりゃ駄目さ、と相手は首を振り振り答えました。もう船の入港は禁止されたんだよ。入港してこなきゃ、出港する船だってなかろう。じゃ飛行機は? と私は訊きました。飛行機って何だね? と相手はとまどったような笑みを浮かべて言いました。まるで私が何かジョークを言って、それが理解できなかったみたいな表情でした。飛行機ですよ、と私は言いました。空を飛ぶ、人を運ぶ機械ですよ。馬鹿馬鹿しい、と相手は疑り深そうに私を見ながら言いました。そんなものありゃしないよ、無理に決まってる。覚えてないんですか? と私は訊きました。何の話だかさっぱりわからんね、と相手は答えました。君、そんなたわけた話を言いふらしてるとロクな目に遭わんぞ。物語をデッチ上げる連中を政府は好まんのだよ。士気に響くからね。

 わかるでしょう、ここにいるとどういう状況に立ち向かわされるかが。ただ単に物が消えるだけではないのです。ひとたび物が消えると、その記憶も一緒に消えてしまうのです。脳の中に闇の領分が生じ、その消えたものをひっきりなしに喚起する努力でもしない限り、またたく間に永久に失われてしまうのです。この病に冒されている点では、私だって例外ではありません。きっと私の中にも、そうした空白がたくさんあるにちがいありません。物がひとつ消えたら、すみやかにそれについて考えはじめなければ、あとはもうどれだけ頭をひっかき回しても取り戻せはしないのです。結局のところ、記憶とは意図的な行為ではありません。それは本人の意思とは無関係に働きます。そしてこの街のように、何もかもがつねに変わっている状況にあっては、脳だっていい加減ぐらついてくるのであり、いろんな事物がこぼれ落ちてしまうのです。時おり、逃げてしまった思念を懸命に探し求めていると、私の思いはいつしか、かつて故郷で過ごした日々に戻っていきます。まだ幼かったころ、夏休みに家族揃って汽車で北へ出かけたときのことを私は思い出します。兄のウィリアムは私をいつも窓側の席に座らせてくれました。そして私は、たいてい誰とも口をきかずに、窓にぴったり顔を押し付けて風景を眺め、汽車が荒れ野を飛ぶように抜けるなか、空や林や水を眺めていました。いつ見てもきれいな眺めでした。ふだん都会で見る眺めよりずっときれいでした。毎年私は、心の中で自分に言ったものです。アンナ、こんなきれいな眺めって見たことないでしょ、これを覚えておくのよ、いまこうして見ているきれいなものをみんな記憶しておくのよ。そうすればきれいなおのはずっとあなたと一緒にいるのよ、目の前にはもう見えなくなってね、と。来たへ向かうあの列車に乗っていたときほど、真剣に世界を見たことはありません。私は何もかもを自分のものにしたいと願いました。それらの美すべてが私という人間の一部になってほしいと望みました。覚えていよう、あとで呼び出せるように頭の中にしまっておこう、本当にそれが必要になったときに備えてしっかり持っていよう、そう自分が思ったことを覚えています。でも奇妙なことに、何ひとつ残りはしませんでした。私としては懸命に努力したのですが、なぜかいつもすべては失われてしまったのです。結局唯一思い出せるのは、自分がいかに懸命に努力したかということだけでした。物たち自体はあまりにも早く過ぎていき、私の目に止まると同時にもう頭の中から消えてしまうのでした。いまの私に残っているのは、一個のかすみだけです。まばゆい、美しいかすみ。林も空も水も、みんななくなってしまいました。それらはいつも、私が手にする前から、もうすでになくなっていたのです。

 「最後の物たちの国で」ポール・オースター著 柴田元幸=訳 より抜粋 

0 Comments:

Post a Comment

<< Home