さがしもの
いつも不思議に思うこと。「なぜ『探す』のだろう?」という疑問。そして、「いつそれを『見つける』のだろう?」
なにかがないと思うから、それを探すということは、「探す」時点ですでに「なにを」探すかは決まっている。
もともとあって、なくしてしまったものを「探す」のはまだわかる。たとえば物体、落としてしまった財布とか携帯とか、汚い部屋にどっかにまぎれてしまったリモコンとか…探せば、「出てくる」もしくは「出てこない」いつかは「探していたこと」さえも忘れてしまう。
でも、幸福とか自信とか、自分とか、恋人とか友達とか、そういう「ものではないなにか」概念に近いものを探すこともある。
探しているうちは、それがほんとうに「ある」のだと思うから「探す」。あいまいではなく、「何を探しているのか」をちゃんと知っておかなくては探せない。
それでも、一度もみたことがないもの、自分だけではなくて誰もみたことがないものも探そうとする。何を探しているのか? それをはっきりと考えようとすることはあまりしないで、なぜかみんな探す。ひょっこりどこかで見つかると信じている。何を探しているのかわからなくなっても、それでも探している…
ツメの中に土が入るほど深く掘った穴。探して掘った、からっぽの穴の中。そこに力つきて自らの体を埋めるのか? それとも花を植えるのか?
2 Comments:
本の引用がいつもとても好きです。いい本をたくさん読んでるんですね。
今日の最後の文章で思いついたんですが
別役実さんの「さみしいおさかな」という童話集にも人生の最期に穴を掘る話があります。私のハンドルネームもその話からもらいました。大人向け童話集で、なかなかいいですよ。
本は読んだはしから忘れてしまうのですが、たまにこうして心にひっかかった好きな文章を書き留めています(いろいろ問題なのでしょうけど)興味があったら、引用した本も読んでみてくださいね。
「さみしいおさかな」探して読んでみます。
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