Saturday, June 09, 2007

神による陰謀説 (メモ)

 ヴァレやHもそうだが、なぜUFOマニアというのは、この手の陰謀論に飛びつきたがるのだろうか? Hや他の信者たちの話を聞いているうち、私には何となく理由が分かってきた。

 彼らは「真実」を求めているのだ。UFOの謎に頭を悩ませ、単純明快な理論ですべてを説明することを夢見ているのだ。「誰かが真実を隠している」「誰かが我々を騙している」という説は、安直であるがゆえにアピールしやすい。隠されている真実さえ明らかになれば、すべては単純明快であったことが判明するだろう……。

 陰謀説というのは宗教に似ているーー私はふと、そう気がついた。

 この世は混乱に満ちている。多くの悲しむべき出来事、不条理な出来事が常に起きている。戦争、災害、不景気、伝染病……そこには何の秩序も基準も見当たらない。どんなに正直に慎ましく暮らしていても、天災であっさり死ぬことがある。悪人が罰を受けることなくのさばることがある。人の生や死というのもには、結局のところ、意味などない。

 しかし、多くの人はそれに納得しない。自分たちの生には何か意味があると信じたがる。この世で起きることもすべて、意味があると考えたがる。偶然などというものはありえない。どんな事件にもすべてシナリオがあるーー誰かが仕組んだことなのだ、と。

 阪神大震災が起きたとき、オウム真理教は「地震兵器による攻撃だ」と主張した。そのオウム真理教は、一部の陰謀論者に言わせれば、フリーメイソンや北朝鮮の陰謀なのだそうだ。一九九六年にO-157が流行した時も、二〇〇五年にインフルエンザが流行した時も、やはり陰謀説を唱える者が現れた。こうした説は決して近年の流行ではない。十四世紀にフランスでペストが流行した時、「ユダヤ人が井戸に毒を流しているからだ」という噂が流れ、大勢のユダヤ人が殺された。一九八三年、長崎にコレラが流行した時も、「イギリス人が井戸に毒を流している」という噂が広まった。一九九五年、エボラ出血熱が流行したザイールでも、「医者が毒をばらまいている」という噂が流れた。時代や民族を問わず、人は大きな災害に接すると、「誰かのせいだ」と考えたがるらしい。

 考えてみれば、ノアの洪水の伝説も、そうして生まれたのではないだろうか。昔の人にとって、自分たちの住む地域が「全世界」であったろう。自分たちの住む地域に洪水が起きた時、「全世界が洪水に見舞われた」と思い込んでいただろう。生き残った人たちは考えた。なぜこんな悲惨なことが起きたのか。誰が何のために私たちの隣人を殺したのか……彼らはその不条理な悲劇を合理的に説明するため、物語を作り上げたのだろう。「死んだのはみんな悪い人たちで、神は彼らを罰するために洪水を起こしたのだ」と。

 そう、宗教とは「神による陰謀説」なのだ。災厄を起こした者の正体が人であれば陰謀説になり、神になれば宗教になる。それだけの違いだ。

 そう考えれば、カルトを盲信する者がしばしば陰謀説を唱える理由も説明がつく。神を信じる心理、陰謀を信じる心理は、結局のところ同じメカニズムによるものだからだーーすべてにきっと意味があると考えたがる心理。

「神は沈黙せず」山本弘 より

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