Monday, August 27, 2007

服を選べない人たち

 自分の着る服は自分で選べるのに、「自分がどう生きるか」ということをあまりに他人任せにしていることがどうしても納得いかない。

 服に関しては、「アンタ、そんな服着てんの? ダサくない〜」とけなしてくれる人も必要かもしれないし、「こっちの方が似合うよ、これ着なよ」ってアドバイスしてくれる言ってくれる人も必要なんだろうけど。でもね、その他人が選んだ服を着てしまった時点でなにか力関係が生まれてしまう。で、その服を着てるのは、他ならぬ「自分自身」なので、自分が「その服」で評価される。無責任にも、責任はすべて着た自分が負うことになる。あくまで、他人の意見を取り入れた程度で済ませるのか、自分よりも信頼できるセンスの人として任せているのか(それは楽でいいなあ)どっちにしろ、自分が着た服は自分で責任を持たなくちゃいけないんだ。よっぽど自意識がないか、もしくは絶対的に信頼(依存)している人がいない限りは、パンツだってなんだって着る服くらい自分で選んでいるものだ。

 人が選んだ服を着てたり、また人の着こなしを見てたりして、真似したりしながら、なんとなく「こう着たらいいんじゃないか?」ということが分かりだして、自分のスタイルを確立する。模倣や憧れがあるから、いろんな服を着ようと思う。そういうのはすごく大切だし楽しいと思う。でも、他人にだた進められた服を着ているだけだったら、そしてその服に憧れも何も思うことがなかったら、残念だけどその服を切るのは辞めたほうがいい。それは外側から心を浸食する。「着る服も自分で選べない」という人間ということことを、身をもって思い知らされる。

 世の中には、何に付けても「こうしたほうがいい、君は間違ってる」という生き方レベルでおせっかいな人がいる。そういう人は、「どんな風に考えているのか」ということを明らかにするのではなく、ただ他人を意のままにする快楽を得ていて、考えない人間を生産しているということに気がついたほうがいい。スピリチュアルがどうにも好きになれないのも、ファッションリーダーがウンコだと思うのも、たいていのメディアがクズであるのも、「なにも考えないほうが楽と思う人たち」がいて、「そういう人を導いてあげるということに快楽を得る人たち」という一種の茶番にも似た共依存の関係性から抜け出せないからだ。

 何でその服が好きなの? どんな服に憧れるの? どうしてそれを自分で着ないの? どうしてそんな知った風なことを言う人の言うこと聞いてんの? ダサイって言われるより、自分が着たくない服着る方がよっぽど気持ち悪くない?

1 Comments:

At 1:14 AM, Blogger patatepatata said...

俺は
着せがえ人形になることは結構好き♪

よく、その時に付き合ってる彼氏の趣味に代わってしまう。

そういう人生も、楽しい と思ってる

 

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