Friday, September 28, 2007

拳の先

 人生で嫌いなこと、避けて来たことの一つに、”他人になにか忠告をする”というのがあって、できるだけそれをなあなあで避けて来ていました。

 というのも、一度言葉として言ってしまうと、それだけで関係ができてしまって、そこから二度と関係が戻らないのね。たとえば、「ジン太ってすげーヤリマンだよ」って、だれかから聞いちゃったら、それ信じるにしろ信じないにしろ、少なくとも「ヤリマンって言われてたジン太」っていう事実、それを聞いてしまったことで変わってしまったものがあるわけで、できるだけその責任を負いたくない、言葉のSMに自縛したくない、思っていた、けれども。

  結局は「言わないこと」も感情としてはココロに残るわけで、言わなければ、その人との関係が、いつかはめんどくさくなって自ら「この人は違う」と言って傲慢にも見捨ててしまう結論しか用意されていない。本当にいい関係を築こうと思うのなら、他人に対しても、自分に対しても、変わることの責任も、また自らが他人をそれこそ『傲慢にも』変えることの責任も負わなくてはいけない。

 だからこそ、「他の人は…」っていう一般化は卑怯だと思うので、「オレは好きじゃない」と言うことはできたけれど、言われた相手のことを思いやることは、まだまだできないままでした。

 振り上げた拳。ああ、それはやっぱり他人のためではなく、自分が生存するためにあるのだということを、正直にいう必要がある。
 そして、その拳を振り下ろして、自らと他人の弱さがぶつかり合ったところにしか、今はないんだ。

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