スターチス
母が来たときに買っておいたスターチスが、まだウィルキンソンのジンジャーエールの花瓶に挿してある。
はじめは水を入れて挿していたが、これはドライフラワーになると母がいうので、水を抜いて、そのままにしておいた。
そうすると。 いつのまにかスターチスはドライフラワーになった。枯れて色が褪せたが、まだ色がある。つやと感触、そういうものはなくなった。とたんに抜け殻みたいに感じてしまうのはなんでだろう。枯れてしまったから。不思議でたまらない。水分がないとか、そういうだけじゃなくて、なにかが、もうない。
裏庭の柿の木を、毎日窓から眺めるのが楽しい。
日に日に大きくなって、みどりを濃くしていく葉を見ていると、僕はちゃんとここにいるってことがわかる。過去とは悔やむべきものではなく、未来は恐れるべきものではない。いま自分がいるこの場所この時間は、作ってきた時間の結果なのだ。それがすごいことで、祝福されている。木や花を見ていると、時間は確かに流れているのだな、とわかる。
「あの植物のように〜生きたい」とは、宮沢賢治は言っていない。(たぶん)
植物は植物。人間と流れる時間が違う。人間の理屈は、植物には通用しない。
だから、人間のことばでしか、植物から得たことや美しさを、伝えることができないのがもどかしい。
きれいだよ。っていうのがあなたでなければ。私は花を知らずに生きてきた。花はずっと咲いていたのだけれど。
にんげんの言葉でしか、スターチス、あなたをほめられないのだろうか。
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さくらの つぼみが
ふくらんできた
と おもっているうちに
もう まんかいに なっている
きれいだなあ
きれいだなあ
と おもっているうちに
もう ちりつくしてしまう
まいねんの ことだけれど
また おもう
いちどでも いい
ほめてあげられたらなあ…と
さくらの ことばで
さくらに そのまんかいを…
「さくら」 まど・みちお 『まどみちお詩集』より
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