Monday, April 10, 2006

水面の桜

 ヒトを嫌いになってた。
 
 僕は自分のことが好きだ。
 僕はヒトを嫌いになりたくない。そういうことをする自分がキライだからだ。
 あのヒトは僕に対していい感情を持っているらしい。
 だから、あのヒト自身を嫌いになることより、僕に嫌われることを恐れる。
 あのヒトはあのヒト自身よりも、僕の方が好きらしい。
 けれども、僕はあのヒトを好きになれない。
 
 僕は自分が好きだ。でもヒトを嫌う自分は嫌いだ。
 自分が好きなヒトを嫌いになるヒトを、僕は好きになれない。
 だから、自分が好きな自分を嫌いになる自分を、僕は嫌いになる。
 自分を嫌いにさせたあのヒトも嫌いになる。
 あのヒトも、あのヒト自身を嫌いになってる。
 
 報われない好きは、存在できなくて、気がついたら嫌いばっかりになってた。 
 欲望ばっかりだ。

 自分をかわいそがってもしょうがない。
 『出すものだすか、トイレから出る』んだ。
 
 いいかい、僕はヒトを嫌いになる。そんな自分も好きになる。そうすれば、自分自身が嫌いなあのヒトのことも好きになれる。そうして、もっといいやり方で僕自身のことも、あのヒトのことも好きになれる。




 桜が満開の日に、着信拒否をしていたあのヒトに電話をかけて、話をした。
 驚いたことに、優しい声で僕を迎えてくれた。嬉しかった。ごめんなさいって言った。許してくれた。

 なんでもできそうな気がしてもわざと諦めたりしたりもする。けれども、本当に望んだものはいつも望まなかったもので、自分の気持ちを置いてきたことにあとから気がつく。

 桜が散って、川を流れる桜の花びらが海に届いた頃に、魚たちは「ようやく春が来た」って思うんだって。
 そういう春の気づき方があってもいい。 

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