水面の桜
ヒトを嫌いになってた。
僕は自分のことが好きだ。
僕はヒトを嫌いになりたくない。そういうことをする自分がキライだからだ。
あのヒトは僕に対していい感情を持っているらしい。
だから、あのヒト自身を嫌いになることより、僕に嫌われることを恐れる。
あのヒトはあのヒト自身よりも、僕の方が好きらしい。
けれども、僕はあのヒトを好きになれない。
僕は自分が好きだ。でもヒトを嫌う自分は嫌いだ。
自分が好きなヒトを嫌いになるヒトを、僕は好きになれない。
だから、自分が好きな自分を嫌いになる自分を、僕は嫌いになる。
自分を嫌いにさせたあのヒトも嫌いになる。
あのヒトも、あのヒト自身を嫌いになってる。
報われない好きは、存在できなくて、気がついたら嫌いばっかりになってた。
欲望ばっかりだ。
自分をかわいそがってもしょうがない。
『出すものだすか、トイレから出る』んだ。
いいかい、僕はヒトを嫌いになる。そんな自分も好きになる。そうすれば、自分自身が嫌いなあのヒトのことも好きになれる。そうして、もっといいやり方で僕自身のことも、あのヒトのことも好きになれる。
桜が満開の日に、着信拒否をしていたあのヒトに電話をかけて、話をした。
驚いたことに、優しい声で僕を迎えてくれた。嬉しかった。ごめんなさいって言った。許してくれた。
なんでもできそうな気がしてもわざと諦めたりしたりもする。けれども、本当に望んだものはいつも望まなかったもので、自分の気持ちを置いてきたことにあとから気がつく。
桜が散って、川を流れる桜の花びらが海に届いた頃に、魚たちは「ようやく春が来た」って思うんだって。
そういう春の気づき方があってもいい。
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