逢魔ヶ時
秋になって空が高くなり肌寒くなると、春夏の間ずっとほてっていた心がすっと熱を奪われる。それは沈静、あるいは停滞であろうが、それとは別に新しく動き出てくる感情がある。そして夕焼けだ。今日も日が暮れる。暗くなっていく。言葉が感情より先に自然に胸から出てくる。
「帰りたい。」
胸がしめつけるようなこの気持ちを、これまでに何度も感じた。そのたびに、ここを飛び出したくなる。
「帰りたい。帰りたい。いますぐここから帰りたい。」
「でも、どこへ?」
ここではないどこか。あの高い空の向こう、夕日の果て、雲の裏。虹の足。遠く。どこまでも遠く…
帰り道を探して彷徨う姿が、夕暮れの風景と重なる。帰りたい、帰らなきゃ…呪文のように繰り返している。僕は押しつぶされそうな気持ち感じながら、もう一つの「何か」を感じている。あれは何であったか?
いままで何回も夕焼けを見た。南の海に沈む大きな太陽も見た。真冬に伸びる太陽の柱も見た。阿蘇の棚田に映る西日も、東京の空を真っ赤に染める茜雲も見た。一度として同じ夕焼けなんてなかった。
恋人は悲しむだろうが、僕が帰りたいと思った場所は、あたたかい恋人の温もりではない。
「ここではないどこか」はどこにもない。
昼と夜の隙間の、あまりにも早く過ぎるその一瞬。夕暮れの中で感じたものは、この一瞬をただずっと感じたい、という好奇心ではなかったか?不安であるということ、孤独であることに激しく魅了されたのではなかったか?このまま見えなくなる風景と同じように、夜に同化したいという欲望ではなかったか?
長い影がどこまでもどこまでも付いてきた。
いずれは影も見えなくなる。あと少しで。
帰ろう、帰ろう、早く帰ろう…
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