Tuesday, March 27, 2007

世界の眺望

 ぼくはあなたを感激させるために、 あなたの目を世界に開かせるために、 自分が飛び越えてきた死の危険を物語ったものだ。 あなたはおっしゃった、ぼくがいつになっても少しも変わらないと。 子供の頃から、ぼくはシャツによく穴を開けたものだと。 ああ!なんと不幸なことだろう! ちがいますよ、ちがいますよ、 ぼくが今度帰ってきたのは、庭の奥からではありませんよ、 僕は世界の果てから帰ってきたのですよ、 それでぼくは苦い孤独の匂いを、 熱の砂嵐の渦巻きを、 熱帯地方の目覚めるばかり美しい月影を、 身に染み込ませて帰ってきたんですよ! するとあなたはおっしゃるのだった、 とかく男の子というものは、 駆けずり回ったり、難儀をしたりすることで、 自分を強いと思っているものなのですよ、と、こう。 違いますよ、違いますよ、老嬢よ、 僕は裏庭よりももっと遠いところを見てきました! 裏庭の藪かげなんか、物の数ではないですよ! あんなものなんか、 あちらの砂漠や岩山や処女林や大沼に比べたら、物の数にも入りはしません。 あなた知っていますか、 人と人が出会うと、 いきなり鉄砲を向け合う土地がこの世にあると? あなた知っていますか、 凍りつくほど寒い晩、屋根もなければ、老嬢よ、 ベットもなければシーツもなしで 眠らなければならないような砂漠が存在するということだけでも…。 すると、あなたは叫んでこうおっしゃるのでした。
『まあ!野蛮人』
 教会の修道女の信念が動かしえないのと同じように、 ぼくにもこの老嬢の信念は動かしえなかった。 そしてぼくは彼女を盲にし唖にしているその貧しい運命を哀れんだものだった…。 それなのに、このサハラの一夜、星と砂との間に、裸で放り出されて、 僕は彼女の方が正しいのだとしみじみ思い知ったものだ。


サン・テグジュペリ「人間の土地」より

Monday, March 05, 2007

春の星

 夕食のおかずを買いに、近所のスーパーまで歩く。スーパーの隣にある花屋の前で立ち止まって、「あの紫色の花、なんだろう」と、僕に尋ねるのと独り言の中間のような声が隣でした。なんだろうね、と行って花に歩み寄る。 あれはフリージアだよ。…いや、ごめん、違った。スターチスだ。小さくて、乾いた花だよ。「最近花が気になってね。色が綺麗だし。あんな紫色で。枯れちゃうのに。」

 いつのまにか春が来たみたいだ。東京の空気もいっぺんに温かくなった。春の空気の重さ、春一番が吹いて、梅の花がほころび、沈丁花の濃い匂いがたちこめ、木蓮の花が重い花弁を開いた。外は雨が降っている。温かい春の雨だ。春の風がずっと吹いてる。この風は変わらずにあらゆるものを萌えさせる。この時期はすべてがあっという間に過ぎて行く。鮮やかな色と匂いを残して。

 何度も春を生きて来た、という実感が、僕の体の中からじわじわとにじみ出て来る。25回目の3月を迎えている。たくさんの花を見て来た。たくさんの匂いを嗅いだ。たくさんの風に触れた。見えなかったもの、感じれなかったものが、新しく春を迎えた自分の目に、全て新鮮で新しく、懐かしく、美しいものに思える。また会えたね。

 今年で30になる恋人は、この世界をどう受け止めて来たのだろうか。 何を見て何を感じて来たのだろうか。まだ25年しか生きて来ていない自分とは違う世界を生きて来たのだろう。それは決して埋められない溝ではある。けれども悲しむべき距離ではない。決して届かない、遠くの星のようだ。遠い向こうの生命の予感。夢、希望そのものだ。

 紫色のスターチスを思い出す。二人でそれを眺めてた日を思い出す。
 僕はこの記憶があれば、死ぬまでずっとまっすぐ生きていられる。死ぬ瞬間にも笑っていられる。何度も何度も繰り返し思い出すだろう。