Friday, April 27, 2007

傷逝

 あのとき自分がどんなやり方で、純粋にして熱烈な愛を彼女に伝えたのか、もう今は思い出せない。今どころか、その直後にもうぼやけて、夜になって思い出そうとしても断片しか残っていなかった。その断片すら、同棲1、2ヶ月後には跡形もなく消えてしまった。ただ覚えているのは、事前の十数日間、自分のとるべき態度をつぶさに研究し、発言の順序を立て、万一拒絶されたときの措置まで考えたことだ。だがその場に臨んではどれも役に立たず、すっかりあがって、我知らず映画で見たようにやってしまった。あとで思い出すたびに顔がほてるが、意地悪いことに、それだけがいつまでも記憶に残っていて、今でも暗室の豆ランプのようにその光景を照らし出すーーー私が涙を浮かべて彼女の手を取り、片膝をついて…

 自分のことだけでなく、子君の言ったこと、したことも、そのとき私はよく見ていなかった。彼女が自分に承諾を与えたんだ、とわかっただけだ。かすかに覚えているのは、彼女の顔が真っ青になり、それからだんだん赤くーーーかつて見たことがなく、その後もついに見なかったほど真っ赤に変わったことだ。あどけない目から悲しみと喜びとの、しかも疑惑を伴った光がほとばしった。そのくせ、つとめて私の視線を避け、そわそわして、いまにも窓を破って飛び出さんばかりだった。だが私は、彼女が自分に承諾を与えたんだとわかった。何を言ったか、また言わなかったかはわからなかったが。

 しかし彼女の方では、何もかもよく覚えていた。私の言ったことを、まるで熟読したようにすらすら暗唱してみせた。私のやったことを、まるで私には見えないフィルムが眼前にあるように、如実に事こまやかに述べてみせた。むろん私が二度と思い出したくないあの浅薄な映画のワンシーンをふくめて。夜がふけてあたりが静かになると、さし向かいの復習の時間がくる。私はいつも質問され、試験され、おまけにあの時しゃべったことの復唱を命ぜられるが、まるで劣等生のように、しょっちゅう彼女から補足され、訂正される始末だった。

 この復習も後にはだんだん回数が減った。だが私は、彼女が目を虚空にむけてうっとり想いに沈み、顔色がますます和らぎ、えくぼが深くなるとき、ああ、また例の学科を自修しているな、とわかる。そして例の滑稽な映画のワンシーンだけは見ないでくれたら、と思うが、しかし彼女はそれを見たがるし、見ないではおかない、ということも私にはわかっていた。

 しかし彼女の方では、それを滑稽とは思っていなかった。どんなに私自身が滑稽と思い、むしろ愚劣と思っていても、彼女は少しも滑稽と思わなかった。私にはわかる。彼女の私への愛は、それほど熱烈であり、それほど純粋だったのだ。



 魯迅全集 竹内好訳 「傷逝」より

Monday, April 16, 2007

オカルト 01

 自意識が強いんだか低いんだか分からない、こんな性格と生活を生きているので、幸せだったと思えばそう思うし、不幸だったと思えばそう思ってしまう。そんな毎日だ。将来に対する希望も不安もそれなりにある。絶えずアップダウンを繰り返してもいる。けれど、いま死んだとしたら、「いろいろあったし、使われなかったものもたくさんあったかもしれないけど、大切な人にたくさん会えて良かった。」と、最後にカードを「幸せ」にひっくり返して死ねるんじゃないか… と思っている。それは、僕の最後のセーフティネットだ。生きるために積み上げて来たつもりの思い出は果たして、死ぬ時まで僕を救ってくれるだろう。死ぬまでは生きているんだから。

 日常に生きて、「報われない想い」を持ち続けるなんて、自分に許されるとは思っていない。どんな状況でも「運がない」とは言いたくない。どんな状況であるにしろ、それは自分で選んだものなのではないだろうか? 親しい人に言わせると、僕は「片思いに向いていない性格」なんだそうだ。あたりまえだ。自分を好きになってくれない人を好きになるなんてどうかしてる。僕は自分のことが大好きなんだから。

 毎日が辛くても、いつか報われると思ってる。もし何かがだめになっても、他の道ある。でも、「欲しい」と感じてしまった欲望の乾きは、他で代償できるものか? それがかなわないと知っても諦められるものか? その欲望を指摘された。ほしがってる自分はずっとそこにいる。呪いのような感情だった。 ワタシハシアワセニナリタイ イマヨリモモット

 僕が言葉にできない思いを「聞いてしまった」ので、もう戻れない、と思った。いつだって予言は甘い言葉だ。



 本当に大切なものは、今よりも幸せになることか? それよりも、この世界に根を張る方が、ずっとずっと大切なことなのではないのか? 思い出や大事な人を、裏切らないでいられるのか? なによりも自分自身に、恥じるものではないのか?報われない想いを抱いて、辛い、苦しい、といって泣けるほうが、よっぽどましではないのか? 僕は何を利口になろうとしているのか?