Friday, April 28, 2006

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Thursday, April 20, 2006

孤独は荒地ではない

 コルシア・ディ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちの求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼおなじ書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視していて、いちずに前進しようとした。
 その相違が、人間のだれもが究極においては生きなければならない孤独と隣り合わせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり人生は始まらないということを、少なくとも私はながいこと理解できないでいた。
 若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしづつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒地でないことを知ったように思う。

 「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子 より

Monday, April 17, 2006

花見

 先週、姉がウチに来た。姉はすごくキレイ好きなので、怒られないようにと頑張って片付けたのだけど、やっぱり汚いといわれ、ガッツリ掃除してくれた。少々むかついたが、キレイになると、 あら、我が家ってこんなに明るかったの?と感動。それこそ手のひらを返すように感謝した。大人になると、小言を言ってくれる人なんてそうそういないから貴重だ。(思えば、前の会社でもさんざん机が汚いと言われてた)

 たくさん料理を作った。お土産にくれたココナツパウダー、うちにあった白玉、冷蔵庫に常備しているレンズ豆とで「ココナツ汁粉」作った。あと実家から送ってもらった梅酒に漬けた干し柿が冷蔵庫の中にあったので、それでパウンドケーキも焼いた。アボカドと豆腐とクリームチーズを、わさび醤油で和えてアボカドの皮を器にして入れたもの。ココナツミルクプリン。ラム酒入り。(写真撮ってけばよかった)

 姉は、水炊きを作ってくれた。それと新じゃがにバターを付けて。3人でどっさり食って、いっぱい飲んだ。
 
 「桜はいいね。どこに言っても、みんなが桜の話をしているの、すごく面白い。」 
 今は南の方に住んでいる姉は、あらためて感心したように言った。その言葉がすごくおもしろいと思った。
 雨が降ると、みんな心配する。桜は本当にアイドルだ。

 姉が帰って行って、もう今は桜も終わって、八重桜以外は葉桜になってしまった。
 花びらが路上に貼り付いている。桜は綺麗だけど掃除が大変なんだ、と友達は言った。

 「でも、ゴミ袋にいれたらピンク一色でキレイでしょ?」
 「ううん。ガクは茶色なんだ。桜が散るとき、ガクも落ちるから」
 いろんな桜があるんだ。

Friday, April 14, 2006

自己検閲(メモ)

 人の生き方とは、その人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力(アテンション)の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるのもは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。
 検閲を警戒すること。しかし忘れないこと-----社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。

 スーザン・ソンダク「良心の領域」より抜粋

Wednesday, April 12, 2006

破邪の目。琥珀の目。

 京都の路上で、琥珀の指輪を買った。ココナツの輪っかに、黄金色の琥珀がはめてある。
 指輪自体は太く1cmくらい。琥珀は直径8mmくらいの大きさ。
 琥珀には破邪の力があり、マヤの民は生まれた子どもにまず琥珀を持たせた、と店員。赤色の琥珀がレアとのことで赤の指輪を薦められたが、指輪の径が合わなかったので黄金色の指輪にした。それでも若干大きいので、店員さんがなにも入れてないココナツの木の指輪をサービスしてくれた。これを一緒にはめれば外れにくくなる。
 左人差し指にはめた。悪いものから守ってくれますように。自分の道を踏み外さないで、まっすぐ道を指し示すことができますように。自分との契約をした。
 指にはめていると、指輪はしっくり馴染んできた。黄金色の琥珀は、破邪の目となって僕を守ってくれている。精神的なものの物質的な現れ。抱いてると思っている人に、抱かれていることに気がついた。そんな感じだ。
 
 目の前で作業をする両手をいつも見ている。
 指輪一つで、僕の両手は非左右対称になってしまった。
 
 僕は3つの僕の目を持っている。受け入れる目と与える目、そして破邪の目。3すくみになった目は、恐れるものはない。
 キーボードを打つ左手の人差し指の上で、破邪の目はじっと僕を見ている。人の裏側を見るよりも自分の心の内側を見ろ。この手の行いを見ろと破邪の目は僕に言う。
 
 ああ、見ているよ。すっと見ているよ。この目が光を失うまでね。
 破邪の目も僕が魔物にならないように、そこから僕を見張っていろ。 
 

Monday, April 10, 2006

水面の桜

 ヒトを嫌いになってた。
 
 僕は自分のことが好きだ。
 僕はヒトを嫌いになりたくない。そういうことをする自分がキライだからだ。
 あのヒトは僕に対していい感情を持っているらしい。
 だから、あのヒト自身を嫌いになることより、僕に嫌われることを恐れる。
 あのヒトはあのヒト自身よりも、僕の方が好きらしい。
 けれども、僕はあのヒトを好きになれない。
 
 僕は自分が好きだ。でもヒトを嫌う自分は嫌いだ。
 自分が好きなヒトを嫌いになるヒトを、僕は好きになれない。
 だから、自分が好きな自分を嫌いになる自分を、僕は嫌いになる。
 自分を嫌いにさせたあのヒトも嫌いになる。
 あのヒトも、あのヒト自身を嫌いになってる。
 
 報われない好きは、存在できなくて、気がついたら嫌いばっかりになってた。 
 欲望ばっかりだ。

 自分をかわいそがってもしょうがない。
 『出すものだすか、トイレから出る』んだ。
 
 いいかい、僕はヒトを嫌いになる。そんな自分も好きになる。そうすれば、自分自身が嫌いなあのヒトのことも好きになれる。そうして、もっといいやり方で僕自身のことも、あのヒトのことも好きになれる。




 桜が満開の日に、着信拒否をしていたあのヒトに電話をかけて、話をした。
 驚いたことに、優しい声で僕を迎えてくれた。嬉しかった。ごめんなさいって言った。許してくれた。

 なんでもできそうな気がしてもわざと諦めたりしたりもする。けれども、本当に望んだものはいつも望まなかったもので、自分の気持ちを置いてきたことにあとから気がつく。

 桜が散って、川を流れる桜の花びらが海に届いた頃に、魚たちは「ようやく春が来た」って思うんだって。
 そういう春の気づき方があってもいい。 

Sunday, April 02, 2006

メランコリー

メランコリー


木の根の下に隠れるがよい
だれにも おまえはもういらない
独りで生きるのが おまえの運命
人恋しさに 胸を引き裂かれようと
いつかは眠りが癒してくれる
こころ開いた女よ。


だれの母親でもなければ こどもでもない
おまえの住まいには かくまう壁もない
いっそ甘んじよう 異邦者であることに
「わたしたち」とは いえないことに。


こころ開いた女よ
いまは心臓の弁をとじ 動機をしずめよう
鼓動が止まろうと打とうと 眠り飛ばせ
食べるものなら たっぷりあるし
やさしい木々が おまえを憩わせてもくれよう
それに海はたいてい 青いじゃないか。


ことば 言葉で慰めるのが おまえのしごと
おまえのように 道にゆきくれた仲間を
小鳥をたたえ
降る雪の歌を うたいあげて
みなの傷口を いたわってやるがよい
こころやさしい女よ。


メイ・サートン  「一日一日が旅だから」より